ありがとう、シマ姐。

chibineko2013-02-23


昨日、2月22日午後6時15分、シマ姐が虹の橋へ旅立ちました。
5年前にたまたまレントゲン検査で腎臓が萎縮していることがわかり、4年前から腎不全を発症。
本来ならお薬を飲ませたり、点滴を定期的に・・というところでしたが、気の強いシマ姐はお薬を飲ませようとしたり注射を打とうとする私の手を流血させるほど抵抗。
いくら体に良くても、それほど嫌がることをするのはどんなもんか?ということで、お薬は断念。注射は調子が悪そうなときに・・というゆる〜いコントロールをしていました。それでも4年、頑張ってくれたのです。

ここ数か月、食欲は落ちていたもののいろいろなフードをそろえ毎日違うものを与えると少しずつでも食べてくれていました。本当にガクッときたのは最期の4日くらい・・でも、シマ姐は最期まで凛としていました。
自分の足で歩き、用を足したい時には私や看護士さんに知らせに来て。
最期の数日間は寝ているばかりでしたが、朝、私が声をかけると力を振り絞って私のところに歩いてきました。シマ、と声をかけるとしっぽをパタパタしたり、ゴロゴロとのどを鳴らしたり。
亡くなる日の朝も、朦朧としながらも私に『わかってるよ』とでもいうようにそっと手を伸ばしてくれました。

それなのに・・シマ姐、私がほんの少し席を外していた間にたった一人で旅立っていったのです。
ちょうど入院中の重症の猫さんの処置をしに行っていた数分の間・・その直前まで私はシマ姐のそばにいたのに。
まあ、それも気丈なシマ姐らしいかな。
亡くなる前日、シマ姐にそっと話していたのです。『シマ、夜にたった一人で行くのはさみしくないかい?みんながいる時にしようよ』
そして私はひそかに心の中で、どうせ虹の橋に行くなら猫の日がいいな。毎年、猫の日がくるたびにシマ姐を思い出せるから・・と考えていたのです。
最期の最期は立ち会えなかったけれど、シマ姐は私の願いをかなえてくれたのです。

祖母と叔母が相次いで亡くなりシマ姐が職場に来てから7年―今年で8年目になるところだったのですが―その間、朝、出勤するとすぐにシマ姐を抱いてスタッフルームのシマ姐専用ベッドに連れて行き、夜はケージに連れて帰るのが私の日課でした。冬は湯たんぽをレンジでチンして・・腎不全になり、排尿量が増えてベッドで粗相するようになってからは洗えるペットシーツを敷いて・・
シマ姐はトイレ砂で用を足さないため、用をたしたくなると私や看護士さんに知らせに来るのでそのたびケージの中のトイレスペース(タオルの上にペットシーツを敷いた場所)に連れて行っていました。その作業も昨日で卒業です。

職場に来たとき、すでに12歳だったので、今年でほぼ20歳。
外出自由だったシマ姐が職場にきて完全室内生活になったりしたらすぐに体調を崩すかも、と思っていたのですが、予想外に長生きしてくれました。

仕事で疲れたとき、嫌なことがあったとき、シマ姐をそっと撫でるとシマ姐は私の鼻の頭をぺろっと舐めてくれました。そんなに落ち込むんじゃないよ、とか、疲れたね、とでも言ってくれているかのように。
シマ姐を毎晩ケージに連れて行くとき、『お姉ちゃんはシマのことが大好きだよ!うちの大事な大事なおばあちゃん』と話しかけるとゴロゴロとのどを鳴らしていたのが忘れられません。
さくら同様、シマ姐のことも大切に大切にしてきたつもりなので悲しさはありません。でも、とても寂しいです・・・

シマ姐がいなくなってもしばらくはベッドと湯たんぽ、お水はそのままにしてあげようと、今朝もいつものように洗濯した毛布をベッドにセットしておきました。シマ姐はまだスタッフルームにいるもんね。

シマ、7年と2か月、私のそばにいてくれてありがとう。
シマはおばあちゃん(私の祖母)の忘れ形見だったから、私の中ではシマのこともなんとなくおばあちゃんと重なっていてそばにいると安心してたんだよね。
寂しいけど、これからもお仕事頑張るから私のことや病院のこと、見守っていてね。
大好きな、大切な大切な、うちのおばあちゃん。
<在りし日のシマ姐↓>